インターネットと広告に関するメモ




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フォルダの整理をしていたら3年くらい前に某所でやったインターネットと広告を巡る講義のためのメモがまとまって出てきた。当時って「ソーシャルメディア」っていう言葉が変な熱を帯びていたというか、とにかくすっごく流行っていて、なんでもかんでもソーシャルメディア、みたいな話になってたんですよね。だったらそもそも昨今ソーシャルメディアって言われているモノっていきなりポッと出てきたものではなくて、いままでの歴史と地続きのもので、どういう流れの中でできたものなのか。ざっとここ10年くらいのインターネットとインターネット広告で観測できたトレンドのようなものを順番に並べて検証していくと、本質に近づけるんじゃないだろうか? そんなクソ生意気なことを考えてたんだけど、今みると結局私的なインターネット史にしかなってないな。大分荒いし、今ではずいぶん時代遅れになってしまった内容だけど、このまま寝かせておくのもアレなのでブログにあげて供養しようと思う。合掌。


ソーシャルメディアと呼ばれるものが登場するに至るまでの簡単なここ10年のインターネット、およびインターネット広告の歴史を端折りながら駆け足で振り返る。2000年からの歴史をざっくり4年ごとに整理してみると傾向がつかみやすいかもしれない。ウェブサービスの登場とともにインターネットにおけるコミュニケーションのありかたの変容がなんとなく見えて来るようにしたい。(この時期を振り返ると紹介すべきすばらしいサイト、広告事例はたくさんあるはずだけど、時間の都合で端折ってあるよ)


■2000-2003 ウェブ/ウェブ広告1.0-1.5 「プレ・ブログ期」

まだいわゆるブログサービスが日本には登場しておらず、いわゆる「テキストサイト」が人気を集めはじめる。2chで「吉野家コピペ 」といった「コピペ」とよばれるミームが多く生まれる。「侍魂」による「先行者」の記事が人気になったりも。2chよりの文脈から「ゴノレゴ」といった人気flashアニメも登場。Flash界隈では様々な表現実験も展開されます。興味深い動きとしては、まだRSSがメジャーではない時期に、サイトの更新状況をチェックする「はてなアンテナ」が登場したことと、「スレの杜」以降2chスレッド紹介サイトが登場したこと。個人ニュースサイトとして当時人気を誇った「俺ニュース」がはじまったのもこのころか。WWW以外ではNapsterやWinMXフィーバーも。

このころ広告的には、一般的なco.jp系の企業サイトに加え、スペシャルサイトとよばれるリッチコンテンツが登場。ちなみに日本政府によるミレニアム記念事業の一環として開催されたインターネット博覧会(通称インパク)が2001年、映画監督を使ってインターネット用の映像をつくるという文字通りリッチな施策BMW Filmsは2002年。ショートムービーとかインターネットフィルム、みたいな言葉がちょっと話題で、おそらく日本で一番早かったのは日産自動車がムービーコンテンツを公開した日産Trunkという事例で、これは2003年。この頃はバナー広告、フローティング広告の全盛期ともかぶる(個人的に一番最初に見たリッチなインターネット広告的なるものはNTTデータが2001年に展開してたMIND THE BANNER PROJECTかもしれない。たしか当時shiftにこのバナーがでてたのを見たのだ)徐々にFlashやDirectorで凝ったキャンペーンコンテンツをつくる企業がどんどんでてきて、いろいろなものが「リッチ」という言葉をまとい始めたこの頃(そういえばNEC ecotonohaも2003年だ)、日本で最初のインターネット広告賞、東京インタラクティブアドアワード第一回が開催(2003年)。

この時期ぼくは広告の仕事をしていなかったのだけど、一人のインターネットユーザの肌感覚としては、広告への接触機会としてはまだまだ口コミというよりも、バナーに接触してたまたまサイトに行き着いたり、企業サイトからツリーをたどって到達したりといった流れが主流か。ディレクトリサーチもまだある程度は機能をしていたのでは。この時期の後半には「スペシャルサイト」「ウェブムービー」「リッチバナー広告」だらけだったような気がする。とにかくリッチコンテンツによって訪問者を「おもてなし」するという考え方が主流だったように思う。砂漠に遊園地をつくったら人が集まるし、口コミで評判になるかもね。というロジック。口コミで広がる土壌はまだ整っておらず、結局は砂漠のビルに道を舗装して人を呼んでくる手法が強いが故にバナー広告全盛期というイメージを持ったのかもしれない。


■2004-2008 ウェブ/ウェブ広告2.0 ブログ全盛期

MovableTypeの登場。日本でもアメブロ、livedoorブログ、 niftyココログ、はてなダイアリーなど各種がブログサービスが2004年周辺にサービスイン。ブログの登場で重要なのはPermalinkという各コンテンツに個別リンクが張られるという発想。これによって、個別のコンテンツを名指しできることが重要な「リファラビリティ」の時代に突入。これはGoogleのページランクの思想と両輪でウェブの世界をぐいぐいと広げていくことになる。各種ブログサービスの登場によって情報発信のコストが急激に下がり始め、いわゆる情報大爆発状態に。それにあわせるかのように、GoogleはGmailをはじめたりGoogleMapをはじめたり世の中をクローリングして整理しつくすという思想をラディカルに推し進める。YouTubeもこの時期に登場。YouTubeの最大の功績はブログと同様にpermalink構造だったことと、映像の埋め込み機能を実装していたこと。これで、口コミでコンテンツが広がる土壌ができあがった。この時期のネットの出来事は、例えば眞鍋かをりがメガネ写真で一躍ブログの女王になったり、2chで「電車男」がまとめサイト/ブログを経由して盛り上がったり。mixi,greeといったSNSも盛り上がり、リアル /ネットの「友達つながり」が可視化されはじめる。ニコニコ動画もはじまり、ニコニコ文化圏が盛り上がる。2007年には初音ミクも登場。この間Second Lifeのようなメタバースが一瞬盛り上がるけどその後どうなったかは皆さんもご存知の通り。(MMRPGは別とする)

一方広告も1.0-1.5期の匂いを残しつつも、この時期には様々な手法が登場。口コミでコンテンツが広がる土壌ができあがったということもあって、いかに口コミをおこすか、使ってもらうか、ブログに書いてもらうかという視点が登場。YouTubeの登場によってバイラルフィルムという手法も登場。2004年、バーガーキングのSubservient Chicken、2005年にはSony Bravia Bouncy BallsNike Cosplayもおそらく日本で初期にバイラル戦略を採用したキャンペーンの一つで、これが2006年、ブログパーツをメディア化したUNIQLOCKは2007年。この時期よく聞いたキーワードはCGM(Consumer Generated Media)、SNS、バイラル、インテグレート、ブログパーツ。砂漠のビルに道を舗装して人を呼ぶという戦略はいまだ現役。ただし、コンテンツが一人歩きしやすい土壌ができつつあった。 そこで、情報発信者にとりあげてもらいやすいようにつくる戦略の登場、という感じ。


■2009- ソーシャルメディア興隆期

マイクロブログインパクト。Twitterの登場で誰でもidを持った上で発言するようになり、情報発信コストはさらに下がる。140字投稿するだけで誰でも情報発信者に。「おなかすいた」という一言がわざわざURLが与えられ、ネットにパブリッシュすることが可能な時代に。言うまでもなくiPhone~スマートフォンの登場も大きい。いつでもオンラインという状況があたりまえに。そうなると反応速度が早くなる→情報伝播の速度もはやくなる→情報消費の速度もはやくなる。というサイクルが発生。ソーシャルブックマーク、ReTweetといいね!Shareなど情報をシェアする方法が複層化しシェア速度が級数的に飛躍。Tumblrなどのクリッピングサービスでコンテンツがばらばらにされて流通するという流れも現れ、生活者=編集者という認識が強くなりはじめる。Ustream、ニコ生の登場で昔のチャットのような共時性コミュニケーションが復活、インターネットの「熱量」が急速に増し始めた。

「水路が整理されたことによるシェアと反応の加速」が顕著。だれでも情報発信者、どこでもオンラインに。加速する情報伝播速度。賞味期限も劇的に短く。クリッピングサービスの登場によって「コンテンツがバラバラ」に流通。ソーシャルグラフ/インタレストグラフ駆動によるネットの島宇宙化が進行中。(これを書いていた頃GoogleがGoogle+のソーシャルグラフによって検索結果にパーソナライズされた重み付けをするかもっていう話が話題で、インターネットが見る人によって違うものになるといろいろ難しいよねみたいな話もした)


ブログの登場以降情報の大爆発がおき、ディレクトリサーチも機能しなくなり、結果Googleのページランクが覇権を握る。広告手法はバナーでリーチ、サイトでおもてなしをしていた牧歌的な時代からこれらの変化に適応するように、情報大爆発の波にかきけされないよう生活者により近い場所、より生活者が広めてくれるようなものを、その時々の文脈からみて、「新しい方法」を模索しながら変化し続けている印象。


■で、ソーシャルメディアってどうヤバいのよ?

プレ・ブログ期~ブログ全盛期にかけて、 企業のウェブサイトは、いわば砂漠の中のオアシスだった。あえてそのオアシスにしかない情報をとりにくる人も確かにいる。しかし問題は、関係の無い(と思いこんでいる)人にとっては「僻地」でしかないということだった。わざわざ僻地へ訪れてくれた人にたいしてとにかく「おもてなし」を続けることに。さらに多くの人を僻地のオアシスに呼ぶには、道を舗装する必要があったため、バナーなどいわゆる「Paid Media」を利用することによって、人を呼び集める必要がでてきた。バナーを打たない(打っても効かなかった)キャンペーンサイトはあっという間に砂漠の高層ビルと化す現象も。

しかし一方で、あらかじめ人がたくさんいる場所がネットに登場しはじめる。いわばそれがソーシャルメディア。ソーシャルメディアはいわば、沢山の人たちが集まって、パーティーをしている「遊び場」といえるかもしれない。人と人とのつながりをつくるサービスがはじまったことで ネット上にゆるやかに人が集う「場」がうまれるようになった。(BBSとかそれこそチャットルームとかそれ以前から人が集う場所はあっただろ、という指摘はあるとおもうし完全同意だけど、2004年以降明らかに「人があつまる場所」のシフトがあったように思う)まさに砂漠の中にレイヴパーティーが現れた、という状態。

一方、ブログ全盛期以降、ネット上のコンテンツ量は爆発的に増加。Googleの全世界のインデックス化も手伝い、生活者視点で見ると、ほしいものを検索窓に入れるだけで大体なんでも手に入る時代になった。欲しいものが大体なんでも手に入るようになってくると、情報の需要と供給のバランスが露骨に崩れ始めることに。この時期から「自分に関係の無い情報=ウザい」という思想がメジャーになりはじめる。

つまり、ソーシャルメディアというパーティーの中にいる彼らの基本思想はこんな感じ:「だって、広告よりも、ニュースより、友達が何やってるかのほうが、 ずっと気になるのはあたりまえじゃない」 つまり、自分が住んでいる国から遠くにあるとある国で政権が変わったというニュースよりも、自分の友達のペットが死んだことのほうが人によっては大きいニュースだったりするということ。

ソーシャルメディア思想というのは、情報のランク付けを友達のつながり(あるいは時にもっとゆるやかなつながり)によっておこない情報を再整理するという発想に他ならない。歴史の長い、大きな企業が語る言葉よりも、その人と親密度の高い人の言うことのほうが情報として信頼性が高い、という価値感。このような世界の中で、企業はどのように生活者とコミュニケーションをとれるのか?というのが昨今の課題。


メモのメモ:このメモを書いた2011年ごろから考えるとまた状況が変わってきていて、ソーシャルメディアという言葉もことさらに聞かなくなったいうか、もう当たり前のものになってるように感じる。それと、上の流れを見ると広告が常に消費者のコミュニケーションの変化にあわせて変化しているように見えるかもしれないけれども、実は別に消費者だって変化している人もいれば変化していない人もいるし、広告も手法が増えただけで昔ながらのやり方が有効な場合だってあるだろうし、常に最新の戦略が最善の戦略とは限らないッスよね。


参考資料

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