ミュージックビデオとリップシンク




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最近MonkeyMajikの「桜」という曲のPVを見て、「歌詞の内容やリップシンク(口パク)によって楽曲と映像がゆるやかに手をつなぎつつ、斜め上の世界観をぶつけることによってその差異を面白がる」という手法がかなり好きだということに気がついたのでざくっとまとめてみた。

企画自体は「桜」→「桜吹雪」というところでつなげてきたんだと思うんだけど、「青い目の遠山の金さん」という斜め上の感じが素敵だ。とにかくこのPVの素晴らしいところは、アイデアだけじゃなくて、ちゃんと映像のぼやけや色合いを、夕方にテレビでちらっと見ちゃう「遠山の金さんのあの感じ」にキッチリあわせてることにつきる。これを今風のカリッカリのハイデフなトーンにしてしまったら一気に寒いものになっていたと思う。(主な理由は元ネタから遠くなる分意味が分からなくなるから)


このPVを見て真っ先に思い出したのは、TMRevolutionの「魔弾」というPV。これはもう明らかに制作者側が楽しんでやっててすごくいい感じ。

前編リップシンクをちりばめつつ、前半はタイトルシーケンスからはじまって小津映画の作法をバッチリなぞっていて、後半にとんでもない展開になる。でもオチはちゃんと小津っぽいところに落としてるのが憎い。小津映画の手法ってその手法だけで分厚い本がたくさんでてるくらい分析されてるから、比較的パロディというか模倣がしやすいうえに、「小津スタイルだよ」という目配せがしやすいんだよね。(実は僕も昔小津の世界観をいじくりまわしてこんなコンテンツをつくったことがあるよ)個人的にはショートフィルムとしての強度がかなりしっかりしているところがMonkeymajikよりも上って感じがする。


同様の手法で思い出す作品といえば、何度も紹介しているけどKen Shapiroによる「Groove Tube」。軽快なスキャットに裁判所の記録映像を無理やりリップシンクさせて、あたかも裁判所の人たちがスキャットをしているように見せている。マッシュアップ映像の教科書。


あとはリップシンクに特化した映像としては、音楽に合わせていろいろな人がリップシンクでつなげていくUniversity Lipdubという作品もあったなあ。これは、これだけたくさんの人がワンショットでやっているのが、OKGOのPVにも通じるようなかくし芸的な面白さもあるし、全員の仲の良さみたいなところが見えてとにかく楽しい気分になる。


ところで、THIS IS ITの影響で一時気マイケルジャクソンのPV見直したりしてるときにハッとしたんだけど、マイケルのPVってスリラーみたいに超お金かかって全体がショートフィルムとして成立してるイメージがあったんだけど、実はOff the wallの頃のPVとか、サビの部分だけカラオケみたいにマイク持って歌ってたりするものもあるんだよね。最近はいわゆるPV、ミュージックビデオで、こういう「マイク持ってゆらゆらしてる」みたいな演出ってほとんど見ない気がする。演歌ぐらい?

考えてみると、マイクで歌っている映像とか楽器を演奏している映像というのは、ライブの代用品という意味合いが強い。そこから一歩踏み込んで映像の中に世界観とかダンスとかショートフィルムな演出がはいってくると、音と絵の結びつきが徐々に分離されていって、逆に音楽と映像の主従関係が逆転するような印象をうけるPVもある。つまり音楽がショートフィルムのBGMとして機能しているように見えるものもたまにある。

上記で紹介したようなリップシンク表現が面白いなと思ったのは、そうした表現が音と映像の主従関係がどっちかにひっくりかえるギリギリの領域をいったりきたりしているスリリングさがあるからかもしれない。


ところで、今回記事を書いてるに思いついたんだけど、バンドが演奏してる映像と音楽をあえて少しづつズラしていくと面白い効果がえられるんじゃないかということ。音と映像の主従関係が徐々に崩れていく様子をそのままPVにできるんじゃないか。

もちろん、ほんとに映像と音がズレズレだと気持ち悪いだけなんだけど、あえてハズすことによって映像と音のモアレ効果によって面白いリズム感が立ち現われてくるのではないか。例えばカチッとしたジャストのリズムの映像の間に実際は叩いていないのにスネアをスターン!と叩く映像をいれたらリズムがちょっとハネているような錯覚がおこるかな?とかそういう事。前に読んだ菊池成孔の本で、ファッションショーの音楽とモデルの歩き方はジャストではなくズレがある、という話があってこれはひとつのヒントかもしれない。


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