はかなさのデザイン




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最近「はかなさ」に注目したサービスが気になっている。

基本的にテクノロジーって解像度をあげていく方向に進化してますよね、すべての空間の情報を、すべての時間において、どれだけ精彩に生け捕り、どれだけ精彩に再現するかっていう方向に。最近気になっているのは、あえてそうしたテクノロジーの進化の方向とは逆のアプローチをとることによって、情報や体験の質を上げるという戦略。極めて解像度の高いもはや人間の手に余る情報量がバンバン放出されている今でこそ、このアプローチはズシンと響きます。


One Memento
http://www.onememen.to/

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一枚しか写真がとれないカメラアプリ。たった一回の撮影のチャンスに何を残すか、ユーザが問われるアプリ。デジカメになってフィルムの制限もなくなった今だからこそ、逆に一枚しか撮れないという制限が「何を残すか」という事をユーザにじっくり考えさせるとってもよくできたアプリ。


Snapchat
http://www.snapchat.com/

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送り手が設定した1秒から10秒の間で送った写真が自動的に消えてしまうというチャットアプリ。「すばらしい会話は保存されないからこそ魔法が宿る、そのはかなさにこそ価値がある」(There is value in the ephemeral. Great conversations are magical. That's because they are shared, enjoyed, but not saved.)という哲学がすばらしい。


+LIFE
http://kappuku.jp/life/

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一生に一度しか見れない。仕組みとしてはとってもシンプルなのに、心をゆさぶられる。とりかえしのつかない気持ちになるサイト。


一生に一度だけしか聴くことができない曲
http://dnsn.jp/

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一回しか再生できないという仕組みを導入することで、音楽にしっかり耳を傾けてもらおうという極めてシンプルな、しかし有効なアプローチ。


テクノロジーの進化と呼応するように、コミュニケーションにおいても、「いかに、いままでありえなかったくらいの解像度で、いかにいままではできなかったようなたくさんの人に情報を伝えられるか」という議論がたくさんされてますよね。でも僕は、情報大爆発時代と言われて久しいこの時代、超高精細なデータをすべての人に届けることがすべてではないと思うんですよね。人間の想像力を信じるのであれば、あえて情報を削る、伝える人を狭めることによって、情報が刺さる深さや質をデザインすることができると思うからです。

ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」っていう有名な本に、レコードなどに代表される複製技術発明によって、「一回っきりのパフォーマンスが何度でも再現可能になった」ことで、そこにはホンモノしかもっていない特別ななにか(アウラ)が抜け落ちちゃったっていう説がありますが、上であげたようなアプローチは、今度は技術によって、1回しか再生されないというアーキテクチャをつくることによって、今日的なアウラ(インターネット・リアリティ的アウラ)を表現しようという試みとも捉えられる。

データがいくらでも簡単に複製可能な今、僕たちが特別に感じるデータって何だろう?CDが売れないっていう議論がいろいろされているけど、どうやってコピーされないようにするかとか制限するか、っていうことよりも、こういうことをしっかりと議論することのほうが、実は大切なんじゃないかと思います。


複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)
ヴァルター ベンヤミン
晶文社
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